公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

まるでダメなおっさん、略して

最近は綾波よりもアスカのほうが人気があるらしいと聞き、時代の流れを感じている。
先日、NHKのテレビ番組で行われた投票によると、キャラクター部門の1位がアスカ、3位が綾波となったらしい。
アスカはアスカでも惣流と式波の区別がされていなかったり、綾波も何人目の綾波といった区分けはされなかったなど、雑な仕分けだったらしいが、それでもなかなか興味深い結果だなと思っている。


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この記事にもあるように、1990年代後半から2000年代前半まで、綾波の人気はすさまじかった。
とある考察によると、綾波の人気っぷりに嫌気がさした庵野監督が作ったのが旧劇場版らしい。
デカい綾波を登場させたり、グロテスクな扱いをしてみたりと、熱狂的な人気を誇っていたキャラクターとは思えない描かれ方をしていた。
綾波がアニメ業界に及ぼした影響は数知れず、その後のアニメ作品でもジェネリック綾波とも呼ぶべき無表情キャラクターが多く登場した。
記事内には、当時こそ綾波の模倣とも呼ばれた無表情キャラも、今は萌えの一要素として確立されたとある。
無表情・無感情が目新しくなくなった結果、綾波の人気っぷりも落ち着いてきたのだろう。


個人的には、新劇場版での綾波は、テレビシリーズや旧劇場版に比べて変化が少なかったように思う。
その点、アスカは苗字からして変わっているし、アスカというキャラクターも随分変わっている。
ぼくがこの記事で納得したのは以下の記述だ。

新劇場版のアスカは、ひたすら「良いやつ」です。加持との縁がないから元恋人の葛城ミサトに反発することもなく、シンジにほのかな思いを抱きながらも綾波との仲を取り持とうとする。あげくシンジとゲンドウが食事会の日だと知って、わざわざ3号機の起動実験に志願して大変な目に遭っている。

確かに、新劇場版のアスカは良いやつだし、加えて素直だ。
第8の使徒にひとりで対処できなかった無力さを責めつつも、後々まで引きずってはいないし、失敗を認められる度量がある。
3号機の起動実験に向かう前のミサトさんとの会話でも、「でも最近、他人と居ることもいいなって思ったこともあったんだ。私には似合わないけど」と素直な気持ちを述べている。
他人をあてにせず、エヴァに乗れない自分は無価値と信じていた惣流のアスカでは考えられないセリフだ。
料理の練習をしているシーンでもそうだが、ここのミサトさんとの会話がとても印象深かった。


続いてこんなことも言われている。

無表情でも、ツンデレでもヤンデレでもなく、周りの人々との出会いに感謝して自ら貧乏くじを引く「良いやつ」。そんな式波・アスカ・ラングレーに投じられた票の数々は、「友達になりたい」がかなり含まれているのではないでしょうか。昔のようなアニメキャラへの恋愛感情から、「こんな子が身近にいて楽しく過ごせたらいいな」へのシフトが、もしかしたら最大の時代の変化かもしれません。

なんかのコラムで読んだのだが、今のアニメは強烈な個性を持ったキャラクターが物語をけん引していくものより、たくさんのキャラクターを登場させ、その中から自分に合った人物に共感してもらうものがウケるそうだ。
アイドルもののアニメなんかはその典型だと思う。
アスカをアクの抜けた「良いやつ」として描くことで、受け入れやすく共感しやすい人物であると見る側に思わせたのが大きいんじゃないだろうか。


昔のアニメにいたような暴力系ヒロインは、このご時世嫌われる傾向にある。
主人公が他の女性にデレデレしたり、不可抗力でヒロインの着替え中に遭遇してしまった際、手が出てしまうキャラのことだ。
新劇場版のアスカもシンジくんに足払いをかけたりケリを入れたりする描写はあるが、それも前半だけだし、テレビシリーズのように独占欲と依存心が強いわけでもない。
ただ、何となくアクの抜けたアスカは面白くないなと思っていたのだが、それもQで覆されることとなる。
アスカが物理的に年を取ったのもあるだろうが、あのアスカに【母性】を感じるなど誰が想像しただろうか。

mezashiquick.hatenablog.jp

エヴァもそれこそ、ぼくがジジイになった頃にリメイクされたりするのだろうか。
次の時代は誰が人気になるんだろうか。
その頃になってもゲンドウは「マダオ」と呼ばれているだろうか。