公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

8月に読んだ本

8月は読んでいる漫画の新刊が4冊も出たので素敵だった。
基本的にはネタバレなしで書いているが、目次もあるので不安な人はスルー推奨で。
今のうちに言っておくとようやくBLEACH全巻セット(74巻)を購入できたので、9月は小説レビューはないと思う。


↓先月分↓
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↓今回読んだもの↓

ONE PIECE 103

ルフィ…お前、なにそれ…。
となった今回。
今後のストーリーを読まないと何とも言えないけど、ちょっとうーんという気持ちではある。
だけどそれによってあれやこれやの辻褄が合ったりする展開は大好き。
ことあるごとに言うけど、伏線ってのは後からそれだったと気が付くもののことで、初見では素知らぬ顔をしてそこにあるもののことだ。
今巻で明らかになった例のあれは「伏線」ではなく「正体が判明した」だけのことである。
「あの場面のこれとこれが正体を示す伏線になっていた」という言い方なら分かるが、あの展開自体を伏線だと言うのは間違っているのでしょうもない考察系Youtuberは気を付けてほしい。

鍋に弾丸を受けながら 2

『治安の悪い場所の料理は美味い』『グルメなどでは絶対に赴かないエリアでは、20点か5万点のものが食える』という信念のもと、現地で美味しいものを食べる漫画。
原作者の体験を漫画家した"ほぼノンフィクション"の作品だ。
作者の行動力とコミュニケーション力、漫画原作者なら体験に勝るものなしという貪欲な姿勢は相変わらずだ。
本当に聞いたことのない料理ばかり出てくるし、「日本の料理で例えるならこう」「日本人はこういう理由で抵抗があると思う」などと解説もばっちりで読んでいてストレスがない。
作中にあった『優しさや親切に優劣はないが、治安の悪い国で親切心を持ち続けるのは、治安のいい国でのそれと比べると尊いように思う』という言葉が印象に残っている。
人権意識が高いように見えつつもコロナ禍でのアジア人へのヘイトクライムが相次いだため外国人のことは基本的に信用していないが、この作者さんみたいな考えを持てること、そして考えを持つに至った出会いがあったことも尊いと思う。

王様ランキング 14

13巻より第二部に突入した本作。
ボッジは強かった父親の長所を何一つ受け継がず、優秀な弟と比較されてつらい思いをしてきたけれども、それでも彼は王族なので大多数の人と比べれば恵まれている。
剣術の実力に加えて”実家の太さ”という得難い力を持っているわけで、今回の旅の最中もボンボンならではの警戒心薄いムーブをしていた。
生まれてからボッジは自分の弱さとは嫌というほど向き合ってきただろうけど、修行して身に着けた強さと向き合うことはなかったように思う。
カゲとの旅の最中なので師匠であるデスパーさんもいないし、いかに自分自身で課題に気が付いて一皮剥けることができるか。

スノウボールアース 4

主人公は今回、初めて人に拒絶されることと人と喧嘩することを経験したわけだけれども、今回の相手はそれで話が通じたのでなんとかなった。
ところが今後話の通じない相手に出会ったとき、どういう対応をするのかが今後のテーマになってくると思う。
あと、彼の戦う理由が割と自分の中だけで完結しているのも引きこもりならではでよかった。
改修されたユキオのランパード仕様が歪な見た目で好みすぎる。

晩年

この小説には思い入れがあり、読んだこともあるのだけどなぜか家になかったので再度購入した。
昔、久米田康治先生がサンデーで連載していた『勝手に改蔵』というギャグ漫画でポジティブとネガティブについての話があり、その回で本作の冒頭の記述が引用されていたのだ。
長いので要約すると、『自殺しようと思っていたところ、正月に夏物の着物をもらったので夏までは生きていようと思った』という内容なのだが、これを用いて「太宰はポジティブ」という論調で話を展開しており、好きな回だったのでよく覚えている。
上記の記述がある作品"葉"は最後まで読んでみると割とポジティブな文章で締めくくられており、久米田先生の言ってることも正しいのではなかろうか。
"晩年"というタイトルではあるが太宰治のデビュー作品集で、自殺失敗後に書かれた作品であることもあって作品全体の情緒が安定してないように思う。
実験的な作品もあって、若さゆえの試行錯誤している感じも好みだ。
ぼくが太宰治のことが好きなのはなんかごちゃごちゃ理屈をこねているところだけでなく、目の周りが伯父に似ているからというのに最近気が付いた。

告白

明治期に実際にあった事件『河内十人斬り』をテーマにし、「人はなぜ人を殺すのか」に迫る作品。
wikiにもページがある出来事だが、完全なるネタバレになるので閲覧は読了後にするのをお勧めする。
作者の町田康さんの書く文章がすごく好きで今までも何作か読んでいるのだけど、回りくどい言い回しで何でもないことを拡大解釈して長々と綴る屈折した感じがたまらない。
町田さんはこじらせた人間や、社会のメインストリームから外れた人間の鬱屈した感情を書くのが本当にうまい。
主人公であり語り手の城戸熊太郎は過度に思弁的な思考を持っているが、考えをうまく言葉にすることができず言行が一致しないことに悩んでおり、自分は誰にも理解されないのだと諦めていた。
一方で周囲の人間は一見すると思考と言葉が一致しており自分ほど物事を考えているようには見えないため、いつしか自分は良くも悪くも特別な存在なのだと認識するようになる。
熊太郎の考えってすごくよく分かって、街を歩いてたり電車待ってたりするとなんでこいつはこんなとこで止まって導線乱してるんだろうかとか、妙な位置に列を作ってこいつらは馬鹿なのだろうかと思うことがある。
じゃあそいつらが何も考えてなくて自分だけが思慮深い人間なのかと言うとそうではなくて、そいつらにはそいつらなりの行動原理や事情がある。
自分はめっちゃ努力しているけど他人は大したことしてないだろう、大変なのは自分だけだという決めつけがそうさせるのだ。
よくもここまで人間の深淵に迫った作品が書けるものだとただただ尊敬する。
本作も広くお勧めはしたいのだけれどかなり分厚いので、もしも町田さんの作品を読みたいという人がいればデビュー作である『くっすん大黒』を推薦したい。
なんでそんなタイトルなのかを知るためだけに読んでほしい。

【ネタバレ】2回目の『ONE PIECE FILM RED』感想【ネタバレ】

1回目を見たあともうこれは絶対再度見ねばならぬと思っていて、いつにしよっかなといろいろ調べていた。
すると、8/27の公開分から来場者得点第3弾の「『ONE PIECE』コミックス巻4/4“UTA”」が配布されるらしいので行くことにした。
高めのスクリーンにしたし公開からしばらく経ってるし客入りも落ち着いてるだろと思ったが、公開2日後に行ったときとあまり変わらない席の埋まりっぷりで驚く。
映画って滅多に見ないのだが、本作は映画館の豪華な設備を十分に生かした満足のいく内容であるため可能なら映画館で見ることをおススメする。
今回は2回見た上で気が付いたことと、今作を取り巻く評判について語りたいと思う。
長いのとネタバレ満載なので注意で。


↓1回目感想↓
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本作に対する否定的な意見について

ネットニュースなどで見たのだが、本作は割と賛否あるらしい。
今までの劇場版と比べて話題性があることから様々の便乗記事が多いのもあるが、それにしてもいろいろな声を耳にする。
観客すべてが諸手を挙げて絶賛するような作品などないので賛否あるのは結構だ。
ところがネットニュースやそれに寄せられたコメントを見ているとどうにも的を射ていないものが多かった。
あとでヤフコメの意見を紹介するが、今作に関しては絶賛のコメントにマイナスが付き、酷評する意見にプラスが付く傾向にある。
ヤフコメの年齢層を考えるとおっさんおばさんが主流なわけだが、単純なアンチによるマイナス評価かもしれないので何とも言えない。
基本的に「思ってたのと違う」という感想がメインなのだが、主な意見を紹介していく。

◆Ado歌いすぎ

ウタの歌唱場面が多すぎて辟易したという意見だが、まあこれはある。
冒頭からウタのライブシーンがあり、7曲くらいは本編で歌唱シーンがあるのでウタやAdoちゃんや今までONE PIECEになかったライブ要素にハマるかどうかは大きい。
音楽にフィーチャーするのは今までになかった試みだし、それで評価が分かれるのは仕方がない。
とは言っても歌姫がストーリーのメインであることは明かされてたわけだから、それで見に行って歌に文句言うのってどうかなあと思ってしまう。
最初の”新時代”以外は物語の背景でウタが歌っていたのでそこまでしつこくないと思うし、一番だけ歌ってるのも多かったし。
映画公開真っ最中のため、テレビCMでも新時代、外食でご飯食べてたら有線で新時代、いろんなところでウタの歌を聞くことができる。
曲によって映画の思い出を振り返ることができるし、音楽は繰り返し聞くことで深みを増す。
まあウタのアンチ勢であれば至る所で彼女の歌が流れている現状に発狂するかもしれない。
どの歌の歌詞も彼女の心情を凝縮していて、聞けば聞くほどウタへの感情移入が強くなってたまらない。
もはやウタはぼくの娘じゃないかと錯覚する。
CDも買いました。

ONE PIECE"らしさ"がない

はい出た「らしさ」
君の考えるONE PIECEらしさって何かね。
ワクワクする冒険?強い海賊(敵が海賊でないので不満との声もあった)との手に汗握るバトル?仲間との絆?
冒険なんて『STRONG WORLD』でしかしてないし、『Z』の敵も海賊じゃないけど、面白かったじゃんか。
それとも尾田先生監修以前の劇場版と比べて言っているのだろうか。
短絡的な批判しかできんやつが過去作全部見てるとは思えんのだけど。
『エピソードオブチョッパー』とかワポルの兄でCV.みのもんたとかいう謎の存在が出てきたけどそういうのはいいの?

◆押し売り感が強い

これはぼくが鬼滅に抱いたのと同じ感覚だと思う。
いろんな媒体で特集されたり、普段は何の仕事してんのか分からん三流芸能人がコスプレを披露したり、ジャンプ掲載時には楽しんで読んでいたのだがあの熱狂っぷりでかなり冷めてしまった。
『RED』は広告を大々的に展開しているし、Youtubeにはウタのチャンネルまである。
先日はフジテレビで特番が組まれていたとかで番組内で女子アナがウタのコスプレをしていたらしい。
ぼくはREDは好きだが、そんな番組で出演者がはしゃいでいるのを見たらうわあとなることは間違いない。
芸能人を声優に起用するのも嫌いだ。
流行りものを受け入れられない人や、好きだけど仕事ではしゃいでいるやつらのお祭り感が気に入らん人の気持ちはひねくれ者としては痛いほど共感する。
ぼくも一歩間違えれば逆張り人間っぷりを発揮して憤慨していたことだろう。
まあ押し売りされたと感じるんなら別にお前に向けたものじゃないんだろうしほっとけばいいんじゃない。

◆シャンクス出なさすぎ

これもまあ分かる。
ウタにはまらない人からしたら、さっさとシャンクス出せやと思ったに違いない。
分かるけど、本編でやってないことを劇場版でやるわけにはいかんだろう。
本編ではシャンクスの出番は少なくルフィとも再会してないのに、劇場版でそれをやってはいかんわけだ。
それに、出番の少なさを挽回するかのようにシャンクスが動いていたし、彼の新情報が小出しになったことは非常に意義があったと思う。
フーシャ村にいた時点でのシャンクスの懸賞金が知れたり、覇気の一種"見聞殺し"を有していることが明らかになったり、彼の生い立ちを匂わせる描写があったりし、一部の設定については第一弾来場者特典である40億巻に詳しく書いてある。
これだけでご飯何杯もいけるんだけど、シャンクスの出番のなさを嘆いている人はこれらの要素では満足できなかったのだろうか。
内容に憤慨しすぎて新情報が頭に入ってこなかったのか、頭が悪すぎて匂わせ描写を読み取る力がないのかは定かではないが、どこまでシャンクスに出てきてほしかったのか聞いてみたい。
それよりも本編にガッツリ登場してるのに極端にセリフの少ないジンベエのこと心配しろよ。

◆ライト層に媚びすぎ

これが最も間抜けな意見だと思う。
ONE PIECEは連載25年、単行本103巻、アニメも20年以上続いている超長期コンテンツだ。(2022年8月時点)
途中で離脱した人もいるだろうし、今から見ようと思っても壁が高いと感じてしり込みしている人もいることだろう。
その点、今回のメインはルフィとシャンクス、映画オリジナルのウタなので最近の展開を知らなくてもそれなりに見られる。
さらにはAdoちゃんファンや、話題になった映画は見ておこうという層の動員も見込まれるため、新規層の開拓が期待できる。
ライト層を取り込むことが我慢ならない人の意見をヤフコメで発見したので紹介しておく。

ライト層は一過性の盛り上がりです。
それは、ワンピースの本質である冒険への期待ではなく、Adoという歌手の人気に便乗したものです。
ネタが尽きた故に、歌アニメ化にシフトし、新たなターゲット層を獲得しようという意図が垣間見えます。
エンディングでは「海賊王に俺はなる」というお決まりのフレーズが白々しく響いてました。

ONE PIECEマクロス化したわけでもなし、歌アニメ化にシフトって大げさすぎる。
それに新たなターゲット層を獲得すること自体は何も悪いことではない。
流動性を失ったコンテンツの未来は衰退しかないのだ。
それはONE PIECEであっても同様である。
集英社としてはONE PIECEドラゴンボールのように連載が終了しても皆に愛される作品にしたいのだろうし。
大体お前、ライト層ライト層って偉そうに言ってるけど、おれもお前もみんなも最初はライト層だったろうが。
合わなかったと離れるのもファンになるのも見た人次第なわけだけれども、まずは見てもらわんと話にならんだろうが。


たぶんだけど、こういうやつって劇場版ONE PIECEはSTRONG WORLDしか見てないと思う。
SW以前・以降の映画を見たわけでもなく、SWを劇場版の全てだとして語っているやつだ。
8月に地上波でSWが放送されていたが、あれは視聴者から一番好きなONE PIECE映画を募集した結果なのだそうだ。
正直言ってあれも、「STRONG WORLDが一番好き」というよりは「STRONG WORLDしか見たことない」という結果を反映したのだと思っている。
劇場版初の原作者によるストーリー、ジャンプ本誌でのプロローグ漫画、来場者特典0巻の配布など、話題になる要素が満載だったことに加え、当時は原作もインペルダウンからの頂上戦争あたりで非常に盛り上がりを見せていた。
新たな島での冒険と未知の生物、ロジャーと肩を並べた伝説の男・金獅子のシキ、さらわれた仲間とそれを奪還する麦わらの一味のカッコよさ、王道なストーリーとわくわくする展開はいつ見ても面白く、「らしさ」が詰まっている作品と言えよう。
SWは新規層にアプローチするにはうってつけだったがきっと彼らの多くはその後の映画を見ていないと思うので、結果として「STRONG WORLDが一番好きです!」という層を生み出したのだろう。
ガチのONE PIECEファンにアンケートを取ったら、個人的には『FILM Z』がトップになると思うのだがどうだろうか。
STRONG WORLDが面白くないと言っているわけではない。


上記コメントのような頑迷なファンを見ていると、「中華そば原理主義者」という言葉を思い出す。
とあるラーメン漫画で登場した言葉なのだが、『ラーメンを滅多に食べないが故に無難な選択肢として昔ながらの中華そばを求めるけど、定期的に来て店を支えてくれる客にはなりえない』という人のことだ。
詳しくは昔書いたことがあるので下の記事を読んでもらいたい。

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古き良きONE PIECE像を勝手に創造し、それ以外の要素は認めず、気に入らない新規層を排除する。
他のジャンルで例えるならガンダム宇宙世紀ドラクエはⅢしか認めないとか言う人らのことだ。
『STAMPEDE』見た?アニメ20周年を記念した作品でもあったから、もしアニメ版見てたら刺さる要素がもりもりだったよ。
それと、単行本96巻の質問コーナーで「ナミはどうしてミカンが好きなんですか?」って質問があった。
当時のエピソードを知らないであろう層からのお便りだろうけど、自分らが幼い頃に出会って今も楽しんでいる漫画を今の子たちも読んでるって思うと嬉しいじゃんか。
頑迷な原理主義者はそんな質問に対して「ニワカが」と言うのかもしれんが、尾田先生みたいに「この巻あたりに載ってるからよかったら読んでみてね!」って優しく回答しようや。

2回目を見ての感想

ウタの存在は後付けだけど、それでもナチュラルに設定に組み込めたのは感心した。
シャンクスが名を上げるきっかけ、少年時代のルフィが頼りになる人間を失うのを恐れていたこと、ルフィがやけに音楽家を仲間に入れたがっていたことなど、ウタの存在があったと思ってルフィの過去編を見ると違った視点で楽しめる。
あと、何回見てもウタのキャラデザは素晴らしい。
では最後に気が付いたことを何点か書いて終わりにする。

◆五老星がウタを危険視していた理由
  1. 民衆の支持を得ているから
  2. トットムジカを蘇らせることのできるウタウタの実の能力者だから
  3. フィアーランド家の血筋だから

ここで重要になってくるのは3番なんだけど、五老星はウタがシャンクスの本当の娘だとすればフィアーランド家の血筋だということになるので警戒していたくさい。
シャンクスが天竜人の末裔である説はほぼ確定っぽいのだが、フィアーランド家とはどんな家系だったのだろうか。

◆ウタウタの実強すぎ

歌を聞いた人間を強制的にウタワールドに引きずり込めるまではともかくとして、意識を失った現実世界の身体までウタが操れるというのは強力すぎる。
黄猿や藤虎もウタ対策のヘッドホンを用意していたということは、ウタウタの力は海軍大将クラスにも通用するということ。
あの能力にオンオフはあるのだろうか。
幼少期のウタの歌を聞くといつの間にか眠くなっていたとルフィが言っていたが、幼い頃は力の制御ができなかったが成長するにつれて扱い方を覚えていったのかもしれない。

◆人を見た目で判断してはいけない

どう見てもゴードンさんは黒幕のルックスでCV.津田健次郎なのに、最後まで善人だった。
廃墟となったエレジアで献身的にウタを支えていたり、ウタを止めることができなかった自分を悔いていたりとシャンクスよりも保護者している。
4/4巻には登場人物のキャラクターデザインの変遷が載っているのだが、ウタは初期からかなり練り直されているのに対して、ゴードンさんは最初から割とゴードンさんなのには笑った。
シャンクスがエレジアを滅ぼしたという芝居をノリノリでやっていた彼からは、とにかく人の好さしか感じない。

◆シャンクスは親としてはダメ

シャンクスはウタに真実を告げ、一緒に罪に寄り添ってあげるべきだったと思う。
海賊である自分たちと一緒にいるよりはきちんとした歌手の教育を受けるべきという気持ちは理解できる。
だけど、大好きだった赤髪海賊団のみんなが自分を利用してエレジアを滅ぼしたなんて、まだ子供であったウタが受け止めるにはいくらなんでもしんどすぎる。
ルフィもよくやるけど、自分たちは海賊であって英雄ではないという偽悪的な気持ちがさせた行動のようにも思う。
ウタは大好きなシャンクスたちに裏切られたという気持ちから海賊を憎み、だけど彼らとの楽しかった思い出もあったりして、屈折した幼少期を過ごしたことだろう。
そして彼女はエレジアを滅ぼした原因が自分にあることを知ってしまうのだが、その頃には民衆からの期待や歪んでしまった感情に取り返しがつかず、「逃げたい・救われたい」と考えるようになる。
逃避先の優しい世界としての新時代ライブ、そして一時は憎んだけれどもそれでもやっぱりシャンクスに救ってほしいと思ったウタ。
『世界のつづき』『風のゆくえ』の歌詞や、「会いたくなかったけど会いたかった」と口にしていたウタからは赤髪海賊団への想いを伺い知ることができる。
カラフルなウタワールドに対して現実世界は灰色で雨まで降っていて、その中でひとりキノコを齧っているウタを見ると救われてほしいなと思わざるを得なかった。
シャンクスは海賊だから、ウタの作る新時代にはいないのだろうか。

◆ローのすね毛がボーボーで最高だった

尾田先生はその昔、サンジにすね毛が生えているのは嫌ですというお便りを茶化していたことがある。
また、ゾロの愛刀を擬人化してほしいという刀剣腐女子からと思われるリクエストに対しても、何とも癖のある擬人化を披露していた。
男前の擬人化を期待し、あわよくばそれでオナニーしようと思っていた腐女子からすれば目論見が外れたことだろう。
ぼくは尾田先生の「あくまでも少年漫画」という姿勢を崩さないところが好きだ。
ローは言わずと知れた人気キャラで今回も登場するのだが、しっかりすね毛が書き込まれていたのはナイスである。
あとバルトロメオに特攻服着せたのもナイス。

◆"ルフィ"を演じているルフィ

エンドロール後のCパートで、ウタの姿がフラッシュバックしたルフィは「海賊王におれはなる!」とサニー号の船首でいつものように叫ぶ。
喪に服すじゃないけれども、友達がいなくなったんだからもうちょい神妙になれよと思った人もいるかもしれない。
ところが、ルフィはときたま「みんなが思っているルフィ」を演じることがあるように思う。
それは船長としてみんなを動揺させまいとする心から頼もしく振舞っているのだが、彼も人間なので時にはどっかに不自然さが生まれる。
それが顕著だったのはウォーターセブンでのルフィだ。
メリー号修理のための1億ベリーを奪われて謝罪するウソップに対し、ルフィはメリーとはここで別れることを提案する。
顔色一つ変えずに新しい船について語るルフィであるが、その際に彼が普段なら絶対に言わないであろう「中古」「カタログ」などというワードや次の船の予算感まで混じっている。
直面している問題は圧倒的に強い敵の存在ではなく船がこれ以上進めないという現実的な問題なわけだから、いつものようにルフィが無茶すれば済む問題ではない。
そこでルフィは何とか船長っぽさを演出し、真面目に喋ろうとするのだけれど理論立てて説明することが苦手なため、いつものキャラじゃないルフィになってしまうのだ。
他にもウォーターセブン出港時ウソップが来ないことに対して精一杯の強がりを見せるシーンなどもあるが、尾田先生のキャラクター把握っぷりは本当にすごい。
というわけでRED最後のルフィのセリフは仲間に心配をかけまいとするルフィなりの気遣いと、己を鼓舞するために発せられたものだと思うのだ。

投げつける母性

今年の夏休みは8/11-8/21までとたっぷりあったが、暑かったり天気が悪かったりコロナが猛威を振るっていたりした。
そのため、自宅で本を読んだりアニメを見るなどして過ごしていた。
全力でだらけていたとき、とある印象深い出来事があったので書いておく。
「お前らもやっと気が付いたか」と思わざるを得ないことだ。


事の発端は、とあるVtuberの活動休止騒動だ。

www.anycolor.co.jp

2022年春頃より、SNS等においてアクシア・クローネに対する誹謗中傷、悪意に基づく虚偽の情報の流布、アクシア・クローネに関わった他の弊社所属ライバーに対する誹謗中傷や危害予告(以下「誹謗中傷行為等」)がなされ、これが悪化・継続しておりました。
そして2022年8月、アクシア・クローネ以外の多くの弊社所属ライバーの配信においても、アクシア・クローネの名前が含まれたスパムコメントが大量に投稿され、弊社の配信事業に対する著しい業務妨害行為が行われるようになりました。

活動休止の原因はこういうことらしい。
被害は本人だけでなく、同じ事務所のライバーに対しても及んでいたようだ。
にじさんじを運営するANYCOLORは以前にも所属ライバーに対する誹謗中傷には断固とした対応をとると声明を発表しており、この件の対応中に発表したコメントなのかとも思った。
これだけだと具体的にどういった誹謗中傷行為が為されたのか分からないが、本人は活動休止に際して動画を投稿しており、それによって気持ちの悪い内容を知ることとなった。


kai-you.net

記事から一部抜粋する。

自身のゲーム配信で何をしても「かわいい」というコメントが付くことや、コラボ先の相手にファンが「うちのアクシアをお願いします」と言ったり、相手の配信に陰湿なコメントを残されたこと対して、「母親面しないでくれ」とコメントした。
そういった一部のファンの行動に関して、アクシア・クローネさんが配信裏でコラボ先に謝罪をしていたこと、またたびたび「やめてほしい」と呼び掛けていたにも関わらず、「アクシアは反抗期」などと言われ、自分の行動を束縛しようとするようなコメントがあったと明かした。

これを見るに、いわゆる「ガチ恋」勢が引き起こした事態と言えるだろう。
かなり気持ちが悪い。
解説しておくと、Vtuberに限らず配信の世界において話題に上がっていない他配信者についてコメントすることは「(伝書)鳩」と呼ばれてタブーとされている。
つまり、ファンが「うちのアクシアをお願いします」とコラボ相手にコメントをすることはよろしくないわけだ。(コラボ配信中のコメントならいいかもしれないが)
というかそもそもこのコメント自体本人が嫌がっているのでマナー以前の問題だ。
また、Vtuberファンの中には推しが配信やSNSで異性と絡むことを良しとしない人がいる。(実際のアイドルとかにもいると思うけれど)
ちょっと調べたところ、同じ事務所の女性ライバーが彼との関係を匂わせるようなことをしていて、誹謗中傷の対象になっていたようだ。
もちろん匂わせはガチ恋勢の被害妄想によるでっちあげだろうが、どんな陰湿で悪質なコメントがされたのかは想像に難くないだろう。


併せてアクシア氏の活動休止発表の動画も見たのだが、相当腹に据えかねた怒りと拒絶っぷりだった。
喋ることは決めていたのだと思うが淀みなく怒りを表明しており、ここに至るまで何度も言葉で説明して、きちんとお願いしてきたであろう彼の苦労を察してしまう。
強い言葉を使わないと分からない層がいて、強い言葉を使っても分からない層や認めない層がいて、分からない人たちは本当に哀れだと思う。
アクシア氏の他の動画は見たことがないのだが、彼は特にガチ恋を量産するような配信はしていなかったと聞いた。
それなのに本人の意に反するコメントが集中し、やめてほしいと言っても聞く耳を持たれず、あまつさえ配信内容に対する指図や他のライバーに対する誹謗中傷など、ストレスは半端なかったことだろう。
動画を見られない人のために有志の人が文字起こしをしてくれたものもあるので、よかったら見てみてほしい。

anond.hatelabo.jp


ぼくがこの件で感じたのは、「女性から男性へのセクハラ」という点だ。
世の中には男性が女性に言えば問題になるようなことでも、逆であれば平気でまかり通っているケースがある。
本件についてはまさにセクハラオヤジのマインドで、「これくらい問題ないじゃないか」「これがダメなら何も言えなくなる」というのを地でいっている。
アクシア氏の動画を見る限り、「かわいい」と言われることや配信内容についての指示は本人が望んだことではなく、「母親ヅラしないでくれ」とやめるようにもお願いしている。
にも関わらず「反抗期」だの「私がいないとダメ」だの、話が通じなさ過ぎて本人もどうしようもなかったことだろう。
女性からすればかわいいは称賛の言葉なのかもしれないが、それを馬鹿にされたと受け取る男性もいる。
例えばゲーム実況をしていてゲーム内でミスをしたとして、それに対してかわいいとコメントがついたらどう感じるだろうかという話だ。


「褒め言葉だと思って言ったことがセクハラだった」という配慮不足は男性から女性のコミュニケーションにおいて昔から言われていることだが、逆については言及されることが少ない。
それは被害がないということではなく、被害が見えづらかっただけのことだ。
女性からへのセクハラ言語化することで見えるようにし、男女の区別なくどんどん批判されてほしいし、女性も意識を変えてほしい。
その点、「逆セクハラ」という言葉を聞かなくなったのは良いことだと思う。
セクハラは男性から女性にのみ向けられるものという前提で出来上がった言葉だからだ。
見た目に関しては男性より女性のほうが心無い言葉を投げかけられることが多いと思うが、女性からの加害が見過ごされていい理由にはならない。
とにかく女性は自分の加害性と気持ち悪さに無頓着すぎる。
今回で言えば、性欲の隠れ蓑として保護者目線で接しているのが気色悪い。
母親だからこれくらいのことは言っていいだろうみたいなスタンスでいて、その実は自分の性欲を満たしたいのが透けて見える。
小学生くらいのジュニアアイドルを応援しているおっさんに置き換えると分かりやすいだろう。
ウッソがルペ・シノさんに言っていた「お母さんをやりたいなら、自分で子供を産んでそれでやってくださいよ!」がこんなにマッチするシチュエーションもそうそうない。


アクシア氏は動画の中で『リア恋も腐女子も俺は好きじゃないけど大勢の人が見るであろうところじゃなく、自分の中だけで楽しむんだったら俺は別にいいと思ってる』と述べている。
これはまったくその通りで、「ナマモノ・半ナマ」界隈で二次創作活動を続けている人なんかはわきまえていると思う。
「ナマモノ・半ナマ」とは、二次創作におけるひとつのジャンルのことだ。
実際の人物を扱ったものが「ナマモノ」、実際の人物が演じているもの(ドラマや舞台など)が「半ナマ」となる。
Vtuberは微妙なところだけど、本人に人格があるので半ナマでいいのではないかと思う。
それはさておき、ナマモノも半ナマもマナーとしては「隠れてやる」というのがある。
例えば、芸能人AさんとBさんのファンがふたりのBL同人誌を制作してそのファンや本人に披露したとすれば、どういう反応が来るだろうか。
勝手に嗜好を歪められたり、理想を押し付けたりされれば本人はいい気分でないだろうし、ファンからしても創作であっても推しの見たくない姿もある。
好意的な目で見られることが少ないであろうことが分かっているから、ナマモノ界隈は見えないところでやるべきなのだ。
配信者はその環境上リスナーとの距離が近いため、わきまえることができない人が増えてしまうのだと思う。


ファン活動って、対象に認知されたいではなく楽しいからで活動すべきだ。
認知されることを目的にすると自意識が出すぎてしまうと言うか、観客が舞台に上がる的な暴挙に出かねないと思う。
お金を払っているからという理由で高圧的になってしまうみたいなこともあるし。
だけど、握手券を買うとCDが付いてくるAKB商法しかり、スパチャを投げられる配信者界隈しかり、いかに推しに認知されて承認欲求を高めるかがファン活動のモチベーションになっている人が多いようだ。
大変失礼ながら配信者ってチョロい仕事だなあと思っていた時期もあるんだけど、楽しくないと続かないんだろうなあと頷くことしきりだ。

【ネタバレ】劇場版『ONE PIECE FILM RED』感想【ネタバレ】

笑いって範囲が狭ければ狭いほど面白いとはよく言ったものである。
最近笑ったのはみうらじゅんさんのエッセイに登場した、『David Bowieがアルバム"Aladdin Sane"でしていた髪型とそっくりなおばさん』の話だった。
元ネタを知っていれば確かにああいう髪型のおばさんいそうだなあとなるので、みうらさんの例えに感心したものだ。
アニメなり漫画なりドラマなりの創作作品を見ていると、過去に自分が取り入れた創作作品の中から上手い例えを抽出したくなる。
今回のONE PIECE映画も何に例えるかなあと考えていて、Vガンダムのエンジェル・ハイロゥみたいだなあと思ったけどもっといい例えがあったかもしれない。
というわけでネタバレありで『ONE PIECE FILM RED』の感想を書いていく。


今回の目玉はやはりシャンクスの娘である『ウタ』と、シャンクスの存在だろう。
ウタはONE PIECE界では知られた歌姫であり、彼女の歌唱パートは歌手のAdoちゃんが担当している。
とにかく歌う場面が多く、確か7曲くらい歌っていたと思うのでまずそこにハマるかどうかが大きいと思う。
(一曲目の"新時代"以外は歌のバックでストーリーも進行するのでそこまでしつこくはない)
物語が進むにつれ、彼女がただのファザコンメンヘラテロリストであることが分かってくる。
彼女が犯した罪との向き合い方、そして企てた計画が「シャンクスに会うため」という目的も含んでいるあたり、大人になりきれなかったウタの未熟さを感じた。
片目や手元が隠れているキャラクターデザインなので本心が読み切れずミステリアスなのも良い。
ただまあ、ウタの目的が明らかになるのは物語中盤くらいだし、ウタにハマらない人からすればさっさとシャンクス出せやと思うかもしれない。


そして劇場版に初登場となるシャンクス。
前作の『STAMPEDE』ではルーキー達や七武海が登場したのだが、四皇は出てこなかった。
加えて前作では『海賊万博』というお祭りが開催されていたことで、今回のウタのライブと被る要素もあったのだが、そこは未登場の四皇をうまいこと使うことで差別化できていたと思う。
ちなみに今回はシャンクスとビッグマムが出演しているが、メインはシャンクスなのでビッグマムの出番は少ない。
シャンクスは劇場版どころか本編でも数えるほどしか登場したことがなく、何なら戦闘シーンもほとんどないのだが、今作ではものすごく動いていた。


実は今回、シャンクスの生い立ちが少し明らかになる。
物語終盤で、シャンクスが幼い頃にロジャーとレイリーに拾われた描写の匂わせがある。
本編ではその程度だったのだが、映画の来場者特典でもらえる40億巻によると、シャンクスはゴッドバレー事件においてロジャーが奪ってきた財宝の中に紛れていた子供(当時1歳)だそうだ。
これはシャンクスが天竜人の末裔である説にかなり信憑性が出てくるし、そうでなくても出生に含みがあることは間違いないだろう。
ちなみにシャンクスはフーシャ村にいた時点で懸賞金が10億4千万ベリーあったらしい。
その男に800万そこらで喧嘩を売ったヒグマさん半端ない。


個人的に、尾田先生ってスリラーバーグあたりからキャラクターデザインやキャラ設定について攻めてきていると思う。
スリラーバーグは今までにない世界観だったし、特にペローナのキャラデザには尾田先生が新しく引き出しに収納したであろうアイディアを感じた。
その後もモネやレベッカやコアラやキャロットなど魅力的な見た目の女性キャラクターが多く登場したことは記憶に新しい。
性格的にも、奥手巨女のしらほし姫、愛され妹属性のシャーロット・ブリュレ、自己中ブラコン(弟)のうるティ、脇と横乳を見せつけてくる自分のエロスに気づいていないボクっ子ヤマトなど、尾田先生の挑戦は枚挙に暇がない。
ウタのデザインには何となくペローナを思わせる部分があってかなり好みだ。


今回の映画はライブパートにかなり力を入れていることもあって、歴代ONE PIECE映画の中でも映画館で見るべき作品に位置する。
ぼくはIMAX上映のスクリーンで見たのだが、冒頭のライブシーンにはかなり引き込まれた。
本編を見てからだと、『新時代』のところどころに散りばめられた後ろ向きなフレーズにも納得がいく。
ウタとシャンクスの再会後の会話もグッとくるものがあったし、あのやりとりにウタがエンジェル・ハイロゥ計画を実行した想いが全て凝縮されていると思う。
彼女は最後に命を落とすものの、やり方は違えど『新時代』を目指すルフィに意思は受け継がれたわけだ。
ルフィがラストで「海賊王におれはなる!!」と再度宣言したのもウタの想いを受け止めてのことだろう。


40億巻にも書いてあったけど、ONE PIECE界の民衆の苦しみってまさに大海賊時代における「闇の部分」だ。
海賊は悪いやつらだし、海軍も世界政府も腐敗しているし、その上にはうんこの塊である天竜人がいる。
ルフィたちは反権力・反体制の自由の象徴として書かれているけど、あくまでも海賊なので通常の常識で考えれば悪いやつらである。
それをヒーローのように見ている人や、海賊に憧れる一般人もいるあたり、ONE PIECE世界がどれだけ理不尽で残酷で歪んでいるかを象徴しているようだ。
ウタはそんな虐げられた人たちのためにエンタメを担い、武力ではなく歌の力を持って立ち上がった。
でもウタも本当は誰かに助けてほしくて、許してほしくて、それがシャンクスだったらいいなあと思っていたことだろう。
彼女は自分が死ぬことで完成する計画を実行したわけだけど、ウタにとっての死は魂の死であって身体が朽ちることではない。
だから死は逃避ではなくて贖罪だったのかもしれない。
本当に逃げたいのなら全部放り出して一人で消えればよかったわけで、民衆を救う必要はなかったわけだから。
自分が必要とされてると気持ちいいし、あっちはこっちの事情を知らなかったとしても許されたって気持ちになるもんね。


では最後に気が付いたことを箇条書きにして終わり。

  • ジンベエのセリフが少なすぎ。

劇場版に初登場のジンベエであるけれど、ほとんど魚人空手の技名しかしゃべってなかった。

  • MVPはブルーノ

コビーと組んでドアドアの能力で麦わらの一味を救出したり、連絡役になったりと大活躍だった。
CP0に移籍したらしい。

  • ナミのおっぱいがなんかエロかった。

服装のせいか作画のせいか、ナミの乳描写に今までにない圧を感じた。

  • ローはもうちょいがんばるべき。

ウタの歌声を封じるためにバルトロメオと連携してバリアを張ってたけど、"凪"を使えば完封できたのでは。

  • シャンクスは「見聞殺し」という能力を持ってるらしい。

覇気の特性の一種?相手の見聞色を封じて未来を見れなくさせるらしい。
ルフィとの戦いフラグか?

  • ウソップとヤソップの再会が熱い。

正確には対面での再会ではないのだけど、ウソップにも父親譲りの見聞色の才があることを予感させた。
STAMPEDEに続き、ウソップはなかなか活躍していた。
ちなみにルフィとシャンクスも再会したわけではない。

7月に読んだ本

7月は追いかけていた漫画が2作も終わってしまった。
何か新しい作品を追いかけたいなと思うと同時に、これを書いている8月は漫画の新刊が4冊も出るので楽しみだ。


↓先月分↓
mezashiquick.hatenablog.jp


↓今回読んだもの↓

さよなら絵梨(読切)

ルックバックの評価が高すぎるためこちらの作品は公開当時賛否がハッキリ分かれたと思うが、個人的にはこちらのほうが好みだ。
購入するつもりはなかったんだけど、発売日にジャンプ+で公開されたタツキ先生の新作読み切りを見て買わずにはいられなかった。
どこまでが映画でどこまでが現実とかそういうのはいいんだよ、面白いんだから。
チェンソーマン第二部が盛り上がっているところではあるが、そっちにしてもさよなら絵梨にしても、過度に神格化せずに「フツーに」読もうと思う。

ゴールデンカムイ 31(完結)

単行本の加筆エピソードを読んで思ったこと。
ゴールデンカムイの呪いに巻き込まれて死んでしまった人もいるけど、命を落とした人を含めてちょっとずつみんなの願いを金塊が叶えているのだ。
「愛するものはゴールデンカムイに殺される」と言った鶴見中尉、「黄金の神様は使う人によって良くも悪くもなる」と言った杉元。
鶴見中尉は主人公である杉元たちにとって敵側の人間だったかもしれないけど、立場が異なっていただけで国を憂う気持ちは本物であったということ。
まさに、「金塊も権利書も、それがなくては国防が務まらないということではいけない」だった。
彼の国に対する愛が本物であることを実感したし、野田サトル先生が鶴見中尉のことを大好きなのもよく分かった。

オッドタクシー 5(完結)

映画の範囲まで書いてくれるかと思ってたけど、アニメ同様の結末だったので先が気になる人は映画版を見よう。
最終巻はおまけとしてドブと矢野の過去編が収録されている。
過去編にハズレなしと誰かが言っていたが、二人の過去編も例に漏れず、欠けていたピースが埋まっていく内容で気持ちが良かった。
ネタバレになりかねんしあんまり感想が書けん。
漫画版はもちろん面白いけど、BGMとかラジオとか凝ってるし、ラップもあるし、やっぱりアニメから見てほしいなあ。

バジリスク甲賀忍法帖~ 1-5(完結)

デカい本棚を購入したので、前々から読みたかった漫画や手放してしまった漫画を買い集めている。
バジリスクは原作もアニメも見たのだが、所有はしていなかったのでこの機会に購入した。
この密度と満足感で5巻で収まっているのはすごい。
ざっくり言えば忍者同士の超常忍法バトルである。
原作となっている山田風太郎の小説は1959年に発表されたものだが、70年ちょい前の作品で異能力にここまでのバリエーションを持たすことができていたのだ。
今では能力バトルものに当たり前に登場する無効化系能力しかり、もっと変態的な能力しかり。
アニメのOP前のナレーションもカッコいいし、漫画は短い巻数でまとまっているし、どちらもお勧め。
原作小説も読んでみようと思っている。
桜花忍法帖については触れない方向で。

星屑ニーナ 1-4(完結)

表紙の左がロボットの「星屑」、右がヒロインの「ニーナ」
まず、ニーナを好きになれるか否かがこの作品を楽しめるポイントとなる。
登場人物がニーナに抱いている感情は各々あれこれあるが、出来事の全てに彼女が関わっており、行動の動機付けになったりコンプレックスになっていたりしている。
ちょっと話が大きくなり過ぎたあたりで「うーん」となったのだが、登場人物も読者もニーナに振り回される漫画なのだと思う。
話としては全然違うけど、「最終兵器彼女」を思い出した。
また、ニーナに限らず登場人物がみんなエネルギッシュで生き生きしていてよかった。
どの人物も道半ばで志を断念することなく、最期まできっちり生き切っているのが素敵。
疲れた時に読むと効く漫画かもしれない。かなりおススメ。

ラブノーマル白書

週刊文春で連載されているエッセイを文庫化したもので、タイトルは違えど書き出しはすべて「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた。」で始まるシリーズ。
リリー・フランキーさんやみうらじゅんさんのエッセイが好きなのだが、両者とも女性とのあれこれを書いたエッセイが多い。
女性との間にあった出来事を書くということはそれだけモテているということだが、自慢っぽかったり嫌味に感じたりしないのが不思議だった。
と思っていたら、巻末に収録されている週刊文春編集長との対談に答えが記されていた。

"笑い"に落とし込まないと気が済まないという弱さもある。モテた自慢話なんてちっとも面白くないんだから。

他にも、友達の話も自分の話として書いていることで、あえてエロの汚名を着ているというコメントもあった。
実は、みうらさんが女性について書いたエッセイを読むのは初めてで(今までは仏像や親孝行や生き方に関するものを読んでいた)、女性関係についてあまり知らないなあと思って軽く調べてみた。
すると、不倫(不倫相手は後にみうらさんの子供を出産)や離婚も経験してるとのことで、割とだらしない下半身をしていた。
対談の中でみうらさんは年を取っていくに当たって自分のエロとどう向き合うかということを話しており、勝手な解釈だけど「世間的に叩かれかねないことも笑いにする」のがみうらさんなりのエロとの向き合い方なのではないかと。
色即ぜねれいしょんのような小説も執筆しているけど、みうらさんは「事実は小説より奇なり」を体現しているのでエッセイの方が面白いことも多い。

方丈記

国語の授業で習ったかもしれない、『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。』この冒頭で始まる、鎌倉時代の随筆作品。
自らが体験した災害や飢饉や遷都の経験を経て、財産も豪邸も官位も権力も永遠に続くものなどないことを悟った著者は京都の郊外に庵を建てて隠居生活を始める。
初めて全編通して読んでみて、意外とページ数は多くないことと、割と俗っぽいなと思った。
悟りを開眼して霞を食べるような仙人の如き生活をしているんだろうなというイメージがあったのだが、生活に迷いを感じさせる記述が多々見られた。
そもそも、暮らしに迷いがあったからこそ自分のことをエッセイにしたとも言える。
何より、好きなものを捨てきれなかった人間臭さが最高だった。
筆者は和歌と琵琶演奏が好きなのだが、隠居生活に際してもこのふたつは楽しんでいたようだ。
何をもってして「隠居」「隠棲」というかは分からないけれど、全てに執着しないことをそうなのだとすれば鴨長明は「本物」ではないのかもしれないし、本物に成り切れなかった証が方丈記かもしれない。
でも別にそれでいいと思う。
年を重ねても俗世と隔絶した生活をしていても、好きなものがあるって最高。