公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

【ネタバレなし】今日の日はさようなら-シン・エヴァンゲリオン劇場版感想-

早速エヴァを見てきたわけだけれども、人の多いところに出向くのが嫌いなぼくがなぜ早々に劇場に足を運んだか。
理由を説明するために前書きからスタートさせていただく。
前も似たようなことを書いたが、漫画やアニメ等の創作物を楽しむリテラシーが低いバカが多い。
どんな分野でも傑出した人物になるためには努力と才能は欠かせないものだが、リテラシーの低いやつはその点で言うと「創作物を嗜む才能」「想像力」がとにかく欠けている。
知らないことは知らないで仕方ないし、そこは努力で補っていけばいいのだが、努力以前に才能と想像力のないバカが多すぎる。
鬼滅の刃がブームになったとき、猫も杓子も鬼滅鬼滅でうんざりしていた。
普段は漫画のことなんか取り上げないであろう、女性誌ビジネス誌が鬼滅に乗っかってアクセス数稼ぎをしようとしたり。
普段何やってんのか分からん五流芸能人が鬼滅のコスプレで話題になろうとしたり。
また、有象無象の木っ端webメディアも「鬼滅の刃を見るときあるある」みたいなしょうもない特集をしていた。


あるあるネタのひとつに「鬼滅の話をするときに相手がどこまで見ているか分からないから話題選びに慎重になる」というものがあった。
アニメだけ視聴している人は単行本や本誌の内容は知らないから、物語の核心に触れる話題を避ける必要がある。
本誌派から見た単行本派も同様で、単行本化されていない範囲の話をすることはネタバレになってしまう。
そんなの当たり前のことなのだが、わざわざあるあるネタにして記事にすることだろうか。
しょうもないwebメディアがしょうもない記事を作成したソースは不明なので妄想と言われかねないが、ネタバレを無自覚に垂れ流すアホは意外にいるのだ。
鬼滅でもどこぞの芸能人が劇場版公開時、ブログで劇中のセリフを紹介していたが、見出しにも本文にも【ネタバレあり】の脚注は見られなかった。
配信元は忘れたが、鬼滅のことをしたり顔で分析したどっかのweb記事には、当時単行本化されていない話について注意書きもなしに触れられていた。
ぼく自身も、テレビの地上波番組でお笑い芸人の手によってONE PIECEの重大なネタバレを喰らった悲しい経験がある。


こういうバカは、普段は漫画やアニメに触れる機会が少ないから媒体によって物語の展開にタイムラグがあることを理解できないのだと思っていた。
ジャンプなどの週刊漫画雑誌に掲載された漫画はすぐさま単行本になり、アニメもあっという間に最終回まで到達すると勘違いしているに違いないのだと。
それなら仕方がないと思っていたがそうではないのだ、彼ら彼女らは単に想像力の欠如した間抜けなのだ。
少し想像して考えを巡らせれば理解が及びそうなものの、才能と想像力がない上に自他の境界が曖昧なため、自分が嗜んでいるものを周りが嗜んでいるとは限らないと分からないのだ。


というわけでぼくがエヴァを早々に見に行ったのは、第一にネタバレ回避のためだ。
もちろん長年のファンだからというのもあるが、好きだからこそ余計な情報を仕入れずにまっさらな気持ちで楽しみたい。
ただエヴァの場合はアニメ以外での物語の展開はない。(漫画版は既に終了している)
そのため、映画のネタバレをするやつは上記したようなアホだからという理由ではなく、悪意を持って内容を広めようとしているやつだ。
ネットのどこかでその悪意に遭遇するかもしれないが、ネットを断つことは不可能なので、それならもう見ちゃえと思ったのである。


ここまでが、映画を見る前にあらかじめ書いておいた内容。
ここからが3/11に映画を見た後の内容になる。


見た感想としては「説明不足の部分はあったけど分かりやすくまとまっていたように思う」だろうか。
テレビアニメ版のラスト付近や旧劇場版は見ておいたほうがいい。
何より、25年越しの完結ということもあり感慨深いものはあった。
熱いシーンや旧シリーズのオマージュみたいな光景、ファンからするとニヤッとする場面もあり(アンチ風に言えば「庵野また始まったよ」的な)、謎の感動と若干の寂しさに包まれた。
テレビ版完結の1996年から新劇場版の序まで11年、序からQまで5年、そしてQからシンエヴァまで9年、長いこと待たされた人も多いだろう。
当時はシンジくんたちと同世代だったぼくも、いつの間にかミサトさんたちと同じ年齢になってさらに追い抜いていたと思ったら、Qの作中で14年経過していてまた追い抜かれてしまった。
今やゲンドウや冬月にシンパシーを感じるファンもいることだろう。
個人的にはマダオゲンドウに親近感を覚えるシーンがあり、序の主題歌である宇多田ヒカルの【Beautiful World】もゲンドウのことを歌ったように思えてきた。
もしもぼくに子供がいたらより真に迫って感じられただろうし、当時のファンで結婚して子供がいるような人にはぜひ見てもらいたい。


作中の言葉を用いれば我々ファンも「エヴァの呪縛」に囚われていたのかもしれない。
ぼくとしては概ね満足のいく終わり方だったので、「ああ、エヴァは終わったんだなあ」とこれ以上なく感じた。
もちろん、キャラクターの扱いや説明不足の感に不満があることも承知している。
ちょっとネットを漁れば、今作に対する呪詛が無数に書き連ねられている。
エヴァ公式が同人誌に代表される二次創作を禁止したのも、これら不満が噴出することを見据えた上での対策と言われかねない。
監督と声優との関係を推測して展開にキレている人、オタクを馬鹿にしていると憤慨している人もいた。
全ての人が納得する展開にすることは不可能だから、批判があるのは仕方のないことだ。


旧劇場版の展開は、多くのエヴァファンに「アニメばっか見てないで現実を見ろ」と言いたかったんだと受け取った。
当時大人気だった綾波を巨大化してグロテスクに表現したり、シンジがアスカでオナニーしてたり。
量産機にぐちゃぐちゃにされて鳥葬にされる弐号機は見るものに衝撃を与えたし、ファンからの脅迫文「庵野殺す」が画面に一瞬映り込む演出があったのは有名な話だ。
見た人に冷水を頭から浴びせるような作品を作ってエヴァを神格化するファンの目を覚ましたかったんだろうし、監督自身も作品を取り巻く現状に嫌気がさしていたのかもしれない。
確かに、当時はアニメばっかり見て現実がままならないいわゆる「オタク」が多かったし、日陰者の存在だったのだろう。
今やアニメを見ることは必ずしも恥ずかしいことではないとされ、芸能人もテレビでオタク趣味を公言し、エヴァンゲリオンだって日本を代表するアニメになった。
昔からのエヴァファンも庵野監督自身も年を取り、当時熱狂した劇場版は「旧劇場版」と表現される始末だ。
だから新劇場版を通して監督が言いたかったことは「昔いろいろあったけど、受け止めて前に進んでいこうぜ」だと思う。
旧劇場版と違って、作品全体に暖かいものを感じた。
庵野監督を脅迫した人も、エヴァに対する様々な意見もまさに現実に存在するのだから、現実はクソでどうしようもないものかもしれない。
嫌なこともあったけど良いことだってあっただろうし、前を向いて生きていくしかないのだ。
また、見た作品に対して文句を言うのは自由だが、反対の意見を有する人、この場合は作品の出来を褒めている人まで貶すのは間違っていると思う。
ファンも「大人になれ」であり「大人になったな」と言われる必要があるだろう。


予告編でシンジくんも言っているように「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」であって、もうエヴァンゲリオンはいないのだ。
ヤマトみたいに数十年越しでリメイクしたり、庵野監督自身がまた作り直したりするのも可能性は低いだろうがある。
ただ、ディープなファンはそれこそ死ぬまで考察を続け、語り続けるとは思う。
ファンもアンチも、褒めている人も貶している人も、発端は愛なのだ。

Bunny Wailerとレゲエとまどマギと日常

3/10(水)


tower.jp

Bunny Wailerが亡くなってショックを受けている。
昨年はFrederick "Toots" Hibbertも亡くなったため、レゲエ界の大御所がどんどんこの世を去っている。
ぼくがレゲエを聞くようになったのは、定番だがBob Marleyだ。
初めて彼を知ったのは【EXODUS】でも【Legend】でもなく稲中だった。
行け!稲中卓球部】という漫画のとある話で、「最後はボブと化し 君に歌を贈るよ」というセリフと共に、ボブと思わしきコスプレをした登場人物が何かを歌っていたのである。
当時高校生だったぼくは地元のCD屋で2枚組のアルバムを買ってボブを聴き、それ以来なぜかレゲエは全く聞いていなかったのだがここ数年狂ったようにCDを買い漁っている。
今でもそのアルバムは家にあるので、ぼくの中にもラスタの血は息づいていたのだろう。


ぼくの住んでいるところには純粋な中古CD屋がなく、レコード屋さんがCDも売っているという形だ。
先日、いつもレゲエのCDを買っているレコード屋さんに行ったらUK・USロックのCDコーナーが消滅していたので、店員さんに事情を聞くと「CDは売れないのでレコードのコーナーを増やす」とのことだった。
昨年アメリカでは数十年振りにレコードの売り上げがCDを上回ったと聞いたし、レコードは根強い需要があるのだろう。
レコード事情にはいまいち詳しくないのだが、CDがニッチな趣味として脚光を浴びないのはどういうわけなのだろうか。
店員さんはぼくがレゲエ好きなことを知っているので、「レゲエは置いとくんで」と言ってくれたのが嬉しかった。
最近は地元のローカル音楽ショップに行ってもジャニーズと坂道系とK-POPとアニソンのコーナーが広いので、CDはもうそのへんしか売れないのだと思う。
ローカルなお店ではCD用のビニールカバーやプラケースを買って、CD自体は中古レコード屋さんや通販で買っている。
タワレコ等の大手はもうちょい店員さんのこだわりを出してがんばっているが、それでも上記した人らの売り場面積は広い。
それでも、昨年は米津玄師のアルバムがバカ売れしたらしいので、まだまだCD販売は死んでないと思いたい。


10年前、世間のごく狭い範囲が【魔法少女まどか☆マギカ】に沸いていたあの頃。
ぼくは正社員の職にも就かずにプラプラしていて、印刷会社でバイトをしていた。
当時は朝食をほとんど摂らず、昼と夜に爆食いするという食生活を続けていたため、今よりも10キロは太っていたのである。
その上、夕食はバイト先の人らと近所の王将に行ってしこたま飲み食いすることも多かったので、暴食と怠惰が留まるところを知らなかった。
それからリバウンドもなしに10キロ戻したことを考えると、ダイエット本の一冊でも出せるんじゃないかと思っている。
職場の人間関係は良く、雰囲気のいい環境だったので仕事自体は楽しかった。
しかしバイトとは言えめんどいものはめんどくさくて、日曜日の深夜に放送されていた【日常】のエンディングテーマを聞きながら、「寝て起きたらまた仕事かあ」と思っていたものだ。
これだけアニメが乱造されていると昨シーズンの放送作を思い出すのも困難だが、10年前の今の時期にまどマギと日常が放送されていたことは決して忘れない。


東北で地震があったときも、その職場にいてみんなでテレビを見ていた。
被災地の状況は画面を通してしか分からなかったが、津波に飲み込まれる土地や炎に包まれる家屋を見ていると同じ日本で起こっていることとはとても思えなかったし、何よりもうひとつの懸念が頭から離れなかった。
というのも、翌月の4月は友人の結婚式に招待されていたのだが、新婦の出身地が東北の某県だったのだ。
幸いにもご家族は全員無事で、自分のことのように安心したのを覚えている。
「今やっても後からやっても同じ」という新婦側のご家族の意見で結婚式は予定通り行われ、友人たちの間にはなんやかんやで3人の子供がいる。
ぼくは控えめに言ってもクソみたいな20代を過ごしていたのだが、周りの人間もクソだらけじゃなくてよかったなあと安堵することしきりだ。


追記:
さっき最寄りのタワレコに行ったらレゲエコーナーが(たぶん)消滅してた。
この国はもうおしまいである。

昼と夜では別の玉

3/5
引用記事の変更と、文章の修正を加えました。


コロナで外出できないことによるストレスが溜まっている人が多いようだ。
元々ぼくはド田舎の生まれなので、イベントが中止になってどうのこうのという不満にはいまいち共感できない。
ショッピング(あえて"買い物"とは言わない)に行くのにも車が必要だし、ライブだのフェスだのグルメフェアだの気の利いたイベントも開催されていない。
今はそれなりの都市部に住んではいるし休日は外出することが多いものの、アクティブな趣味があるわけでもないので特に困っていない。
洋服屋さんやコーヒー屋さんは感染症対策が実施されて以前と全く同じ様子ではないが、変わらずに通うことができる。
美術館や博物館に行きづらいのがちょっと困りものだが、何なら別に外出しなくてもいいくらいだ。
これが逆に、「どんどん外出していろんな場所に赴いて多くの人に出会わないと蔓延するウィルス」みたいなものが流行ったらストレスになるのは間違いないけど。


卓球の愛ちゃんが不倫したらしく非難轟々の状況だ。
ただでさえ不倫というやつは正義をはき違えた暇人たちのサンドバックになりがちである。
さらに愛ちゃんの場合は台湾に子供と旦那を残してきての逢瀬であること、このコロナ禍での帰国も加わって炎上が止まらない状況だ。
旦那にモラハラ気質なところがあったとも聞くが、それはまあ当人同士にしか分からんことなので置いとくとして。
愛ちゃんが叩かれているのは倫理に背くことをしたからというだけではなく、「裏切られたから」という説を見つけた。


愛ちゃんを子供の頃から見てきたという人は多いだろう。
「泣き虫愛ちゃん」が涙を流しながら懸命に卓球をする健気な姿に胸を打たれた視聴者(特に年寄り)はいるはずだ。

www.nikkan-gendai.com


この記事によれば、愛ちゃんは日本国民にとって"みんなの娘"なのだそうだ。

「ラブラブなデート姿が反感を買い、見る側は“裏切られた”と受け取ったのでは。特に年配女性は子供を置いて羽を伸ばすことに否定的で、福原さんを“可愛がってきた娘”のように思うがあまり、一気に敵に回ってしまう恐れがあるのです」

小さい頃からテレビで見てきた子がいつの間にか大きくなって成人となり、結婚や出産を経ていく姿を見て感慨深くなる気持ちは分かる。
芦田愛菜ちゃんがいつの間にか高校生になってたり、ポニョの主題歌を歌った大橋のぞみちゃんが芸能界を引退していたのを知ったりして、彼女らもずっと子供じゃないもんなあと当たり前のことに気付かされた。
ぼくより上の世代であれば、安達祐実が映画でおっぱいを出したことを知って衝撃を受けた人もいることだろう。
人間、大人になってからの人生のほうが長いので、子供の頃の純粋無垢な時間は貴重でイメージに残りやすい。
また、年寄りは最近のことは三歩で忘れるけれど昔のことはいつまでも覚えているので、幼い頃から知っている子はいつまで経ってもおむつが付いたままなのだろう。
しかしながら、みんな「娘」というものに期待しすぎではないだろうか。


みんなの娘ということはあなたの娘でもあるが、あなたの娘が果たして純粋無垢で品行方正な女子だっただろうか。
家の前に極太マフラーの改造車が停まったと思ったら、見たこともないケバケバしい恰好をした娘が乗り込んで行ったことがあったはずだ。
二次会でおっぱいパブに行ったら、別の名を名乗った乳丸出しの娘が登場したことがあったはずだ。
もっと言えば、あなたも誰かの娘なわけである。
あなたが果たしておしとやかで慎ましやかな女子だっただろうか。
履いてたパンツやルーズソックスをブルセラショップに売ったことがあったはずだ。
テニスサークルの新歓コンパで先輩にお持ち帰りされて、クソビッチとして華々しく大学デビューを遂げたことがあったはずだ。
別の男性との子供を旦那の子種だと偽って育てたことがあったはずだ。
思い返せばあなたの「娘」も、「娘」としてあなたがやってきたことも決してキラキラしたことばかりではない。
「娘」が幻想を抱くべき存在ではないことは、娘を持っているあなたやかつて娘だったあなたにはよく分かっていることではないか。


だが、この件で騒いでいる人は娘に裏切られた気分だからという人だけでなく、単に普段の生活とのギャップ、もっと言えばタレントほど私生活が明らかになっていない愛ちゃんの素顔をこんな形で知ってしまったことによる驚きだろう。
だからあんまり娘説には賛同しかねるのだが、「この子がこんなに大きくなったのかあ」という気持ちは分かるので書いてみた。
まあ「みんなの娘」で使われている「娘」とはリアルな娘像ではなく、みんなの中に存在する空想上の生き物なのだろう。
だからこそ、テレビでしか見たことのないよく知らない人間に理想を押し付け、自分が思っていたことと違う行動をしたら文句を言うなんてお門違いにも程がある。
もしも愛ちゃんのしたことが事実なのであればよろしくない行為ではあるし、ぼくも不倫には反対派だ。
しかし、ヤフコメやSNSなんかで気焔を上げている人はコロナ禍で持て余した暇と醸造されたストレスを何かにぶつけたいだけだと思う。
まして今回の件はコロナ禍での出来事のため、「みんな自粛してるのにけしからん」という自分が気に食わないだけなのに主語を大きく語りがちな人間にとっては恰好の攻撃対象だろう。


スポーツ選手に「パブリックイメージ」を求めすぎるのも酷な気がする。
有名人は有名人なんだろうけど、芸能事務所に所属している芸能人ではない。
アスリートとしての心構えや身体の作り方などはコーチがマネジメントしてくれるかもしれないが、芸能人ではないのだからカメラ前での振る舞いやオンオフの切り替えまでは教えられていないと思う。
体育会系は礼儀正しいとされている風潮が未だにあるのかもしれないが、彼らの暴力性と傲慢度は非常に高いので礼儀正しいというのは真っ赤な嘘である。
競技者には生殖器が付いていないとでも思っているのだろうか。
「娘」と「体育会系」には過剰に期待しないこと。
「体育会系の娘」なんてもう暴れ馬だ。

ランボー怒りのLINE通知

ブスな女子高生が花束を持って歩いていたので、開き直ってお花の引き立て役になったのだろうかと思った。
それか実は花が本体でそちらを先に倒さないとずっと復活するタイプのボスかと思っていたら、どうも卒業式だったようだ。
彼女らが大学に進学するのかそのまま就職するのかは定かではない。
だが、「女子高生」という絶対的なブランドであり一瞬で失われる時期を通り過ぎた今、彼女たちが「女子」という看板を背負えるのもあとわずかな時間となる。
年齢が全てではないので、若さを失ったときにきちんと武器になるものを持っておいてほしいものだ。


こないだ、夜もふけたころにジョギングをしていたら、前方をカップルが横並びで歩いていた。
カップルは大きめの声で話しており、周囲に誰もいなかったことや交通量が少なかったことも相まって会話の内容は丸聞こえだった。
ぼくはそんなに早いペースで走っているわけではないので、割と長い間彼らの会話を聞いていたのである。
どうにもカップルは喧嘩をしていたようで、彼女が一方的に彼氏を問い詰める形だった。


会話を文字起こしするほど詳細に内容を覚えているわけではないのだが、どうも彼氏は以前に浮気もしくはそれに近い不誠実な行為をしたことがあるらしい。
お互いの中で落としどころを見つけて関係性を継続していたのだろうが、最近になってまた彼女の中で疑惑が再燃したようだ。
というのも彼氏のスマホにLINEが来て、ロック画面に表示される通知をたまたま見ると「リカさん」という人物からのLINEだったとのこと。
さん付けをしているから先輩や目上の人、もしくはあまり親しくない人なのかもしれないが、彼女はどうもこのリカさんがあまり好きではないという印象を受けた。
彼女はなぜリカさんとラインをしていたのか彼氏をずっと問い詰めており、冒頭で言った喧嘩のような状態になっていたのだ。


ぼくの走るペースがあまり早くなかったこと、カップルの話し声が大きかったことが合わさってこれだけの情報をカップルを追い越すまでの間に得ることができた。
途中からブログのネタにする気満々で聞いていたのだが、まさかここまで詳細な背景を知ることができるとは思わなかった。
その後、ぼくがカップルを追い抜くかどうかくらいの距離感まで近づいた際、感極まったのか便意を催したのか彼女はその場でしゃがみ込んでしまったのである。
それを目撃した後に彼らのことを追い抜いたのでどうなったのかは知らない。


きっとリカさんは、自称サバサバ女に違いない。
「男みたいで付き合いやすい」をスローガンに掲げ、ことあるごとに「男友達といるほうが楽」と自称している。
しかしながらファッションにどこかキレがあり、下品にならない範囲で谷間や太ももやパンツを見せて性を喚起しているのだ。
「えー、彼女さんそんなことするんだー。あたしだったら絶対しないけどなー。」みたいなことを言うのだ。
感情が爆発して道端でしゃがむような自分の機嫌を自分で取れない彼女持ちの彼氏からすれば、サバサバしているリカさんは一緒にいて楽だったことだろう。
というか、「男友達といるほうが楽」とほざく女性は裏で男性がどれだけ気を回しているか分かっていないのだろうか。
男の集団にひとりだけ女が混じったら気を遣うに決まっているのだから、そりゃ居心地はいいだろうよ。


スーパーで店員さんにキレてるジジイは批判されがちだけど、公共の場で感情を爆発させているという点ではこの彼女もおんなじだ。
ジジイは基本的にしょうもないことで怒っているが、彼女が怒る理由には一応の正当性はある。
ぼくはどうにも羞恥心というか変な自意識が働いてしまって、憤怒に限らず公の場で感情を露わにすることを控えてしまう。
仮に大勢の前で意味もなくキレたとして、後からなんであんなことしたんだろうと後悔することうけあいだ。
その点、ジジイにしてもリカさんに彼氏を寝取られた彼女にしても、感情を人前で素直に発露できる人間が違う人種のように思えて仕方ない。
ブログ読んでくれている人は分かると思うが、別にぼくは温厚なわけではないし、かと言ってチキンというわけでも内弁慶というわけでもない。
ただ、怒りの瞬発力が低いというか、何か嫌なことがあったときの選択肢として下のほうに「怒る」がある。
で、後々になってそのときの出来事を反芻してひとりでイライラして文章に綴るのだ。
怒りの沸点が低い人って、内心では常にキレてると思う。
常時身体が怒りで満ちているから、吐き出す言葉も態度もプリプリしているのだ。
だから不快な出来事に対して高い憤怒の反射神経を発揮するのだろう。
まあとてつもなく理不尽なことや、自分の周りの人が脅かされたときなどの怒るべきところでは怒るべきだ。


リカさんがどういう気持ちで彼女持ちの男性に手を出してるのか知らないが、背徳感のあるセックスって気持ちいいらしいですね。
そういう、倫理観に背くことだったり不誠実なことだったりで背徳感を得るんじゃなくて、人に迷惑をかけない背徳感の高め方をすればいいのに。
セックスの風景を動画で撮影して配信してみるとか、明らかな性病持ちとやってみるとか。

紳士と淑女のこの一年

Folli Follieブランドを日本で展開しているフォリフォリジャパンが破産したらしい。
久しぶりに聞いた名前であるにも関わらず、昔のことがめくるめく走馬灯のように駆け巡った。
ぼくが大学生の頃、THE女子大生みたいな子たちはFolli Follieや4℃のアクセサリーを付けたり、samantha thavasaのバッグを持ったりしていた。
もうちょい金持ちの子らはハイブランドを身に着けていたが、エビちゃんモエちゃんに端を発する当時の赤文字系雑誌ムーブメントは今でも覚えている。
今の子たちはプチプラで満足してしまうから、売り上げが低迷していたのだろうか。
懐かしくなってふと当時のプレゼント事情のことを思い出したり、女性との付き合い方について思いを馳せたりしている。


www.tsr-net.co.jp

なんかこう、レディファーストって言葉はうんざりするけれど、まあ女性と接する上で気遣いとしてやっといたほうがいいというかやりたいことってある。

  • 登りのエスカレーターでは女性を先に乗せ、下りでは男性が先に乗る(常に女性の目線の下に立つ)
  • 歩道では車道側を歩く
  • 重たい荷物(女性のカバンは除く)を持つ
  • 建物の中に入るときはドアを開けて女性を先に入れる
  • テーブル席の場合、女性は奥の席に座ってもらう

特別扱いというか、礼儀というか誠意というか、これらのことは一応やるようにしている。
しかしながらぼくはモテないのである。
もちろん自分自身に人間として、男性として魅力がないのは承知している。
加えて、これらのことは男性として当たり前に備わっているべきことで、わざわざ加点項目にはならないのだろう。
好きなタイプを聞かれて「人間」と答えないのと同じで、追加料金を払わなくても初期装備にあるべき項目なのだ。
こんなことを言うと、「わざわざアピールするあたりドヤ顔でやってそう」「押しつけがましさが出ているのでは」などの意見もあることだろう。
とりあえずそういう意見を言うやつは●したいので黙っておいてほしい。
また、どうせ女性は気遣いのできる非モテより気遣いのできない粗暴な男が好きなんだろうとか言う、いつものルサンチマンも本題とは関係ないので置いておく。


ぼくがここでフィーチャーしたいのは4番目の【建物の中に入るときはドアを開けて女性を先に入れる】だ。
これ、例えば本屋やショッピングモールみたいな不特定多数がいる公共スペースならいいけど、飲食店になると趣が変わってくる。
飲食店では、先に入店した人がなんとなくの流れで店員さんとの折衝係になる。
何名での入店か、予約をしているかなどこちらの情報を渡すわけだ。
ここで満足に応対できないような大人は普段どうやって過ごしているのかと不安に思うし、男性に気遣いを求めるのなら女性も円滑に入店するための努力義務を果たすべきだ。
しかしながら、この店員さんとの会話も男性が行ったほうがスマートではないかと最近思っている。


というのも、予約が必要な店の場合、予約者名は予約した本人にしか分からない。
普通に考えれば店に連絡をした男性の名前で席を取っていることだろうが、何らかの理由で女性の名前かもしれないし全くの偽名かもしれない。
店に向かう最中やドアを開けて女性を入れる前に「自分の名前で予約してあるし」と言えればいいだろうが、毎回そんなにスマートに行くとも限らないのだ。
事情を知らない女性が店員さんに「ご予約されてますか?」と聞かれた際に一瞬変な間ができてしまって、後から入店した男性が予約者名を伝えるというどんくさい流れになることだろう。
スマートにドアを開けておいたのだから、最後までカッコつけたいところではある。
ドレスコードのあるような店ならふたりとも入店した後で男性に尋ねてくるかもしれないがそんな店には滅多に行かないし、男性だけに聞くなんて差別だ!みたいなめんどくさい人に絡まれるかもしれないので実際のところは店員さんの匙加減になる。


ここで考えたのが、男性が半身をドアに入れて「やってる?」風な軽いテンションで店員さんに予約していることを伝え、承られたところで後顧の憂いなく女性に入店してもらうパターンだ。
ポイントは男性が半身を店内に侵入させるという点で、全身で入店しないことにより「今は店員さんとの折衝中で終わったらあなたに入ってもらいますよ」というアピールになるのである。
しかしこの方法にはその店舗に潤沢な間口があることと、天候が良いことが前提になる。
雑居ビルの中にあってエレベーターを降りたら即店舗みたいな店だったり、入店待ちの集団や飲み終わって次の店をどうするか考えている輩が店先にたむろしている場合は、女性に先に入ってもらったほうが何かと安心だろう。
自分が店員さんと会話をしているわずかな間に女性がお持ち帰りされるかもしれない。
また、外が寒かったり雨が降っていたりする場合も同様に女性を先に入店させたほうがいいと思う。
つまり半身入店方式はどの店でも使えるわけではない。


結局のところ結論が出ないのだが、別にそこまで深刻に考えているわけではない。
この程度の段取り不足で文句を言うような人などこちらから願い下げだ。
ただ、これに関しては女性の意見を聞いたことがないので、女性目線ではどう思うのか聞きたかったのだ。
外国人男性はレディーファーストの精神が当たり前に身についていると思い込んでいる日本人女性は多いようだが、外国人との交際経験がある友人が言っていたことがある。
別に彼らもやらなくて済むのならやりたくないし、どの女性にもレディーファーストを心がけようと思っているわけではないそうだ。
あくまでも"レディ"ファーストなんで、浅ましく優遇を求めずに淑女たる義務を果たしてから尊重される権利を主張してほしいものだ。
あと一応言っておくけど、エスカレーターや階段で女性を先に上らせる男性は確実に尻を見ている。
その男性との関係性も考慮して下着のラインが浮くようなパンツをあえて履いてみるのもいいゾ☆