公共の秘密基地

好きなものも嫌いなものもたくさんある

有識者曰く、オカズに事欠かないらしい

ここ最近のアメリカ大統領選挙に関する報道を見ていると、機動警察パトレイバー10巻で太田さんが「自分はもともとアメリカ大統領が嫌いであります」と言っていたのを思い出した。
ちなみに今回の内容とは全く関係ない。

今回はブログの閲覧数が100人を超えた記念に用意していた記事に大幅な加筆をしたものである。
昔思いついたメモであっても、とりあえず取っておくものだなあと昨年の自分を褒めたい。


随分前のことだが、SNSの総フォロワー数が100万人を超えているという女子高生をネットニュースで見た。
ブログの閲覧数が毎日10回に満たないぼくからすればものすごいとは思うが、怖くないのかなとも思う。
どこかの芸能事務所に所属しているわけではなさそうだったので、言ってみれば素人のため後ろ楯があるわけでもない。
自分のことを知っている人間はたくさんいるが、自分がそいつを知っているとは限らないのだ。
リリーフランキーさんのエッセイもあったが、そういう中途半端なプロ(エッセイでは読者モデルを例に挙げていた)にはいろんな悪い大人が群がってくるが、その人らはピンキリでいうとキリの下の方なので、彼らが女の子に対して何かしてくれることはないらしい。
名刺をもらったそばから使えない人のは破り捨てるくらいの図太さが必要なのだそうだ。


先日、機会があって【TikTok】というやつを見た。
PCのブラウザならアプリいらずで見られるのである。
当然、ログインしないと動画投稿等の機能は使えないようだが、トップページに掲載されているおススメだか新着だかの動画なら見られるのだ。
布面積の少ないトップスにショートパンツを履いて素人くさいダンスを踊る女子たち。
「質問に答えます」という字幕をバックに、チンコの先っぽみたいな髪形をしてかわいい(と本人は思っているだろう)ポーズをしている男子たち。
なんというか「みんな病んでるなあ」と思った。
SNSにどっぷり浸かっているやつは、多かれ少なかれどっかおかしい。


数年前、若者たちがバイト中の非常識行為をSNSにアップする【バイトテロ】が問題になった。
ああいうアホは「これをしたらどうなるか」という見通しを立てられないのもそうだが、そもそもSNSがどういうものか分かっていないのだろう。
SNSにアップするということは、全世界の人間から投稿内容を見られる可能性がある。
彼らはクラスや職場の友達たちとお喋りをする延長でSNSを使っており、自分の投稿も友人くらいしか見ないだろうと思っている。
見ず知らずの他人が自分のSNSを見ているという考えに至らず、非常識な画像をアップし、炎上してしまうのだ。


そして、炎上までは至らなくても、水面下で着々と自分の個人情報が収集されている可能性にも目を向けるべきだ。
個人情報は何も住所氏名からでなくても特定ができる。
学校や自宅の最寄り駅、友人と遊びに行く場所などからは、普段の行動範囲が割り出せる。
手練れになると、自宅の窓から撮影した何てことはない風景写真からもある程度の地域は特定できるらしい。
海に遊びに行った水着姿の写真を平気でアップしているが、その写真を見ているのが友人だけだとどうして断言できようか。
変なおっさんが自分や友人の水着姿でシコシコしているかもしれないし、同じ銘柄のシャンプーや香水を使ってニヤニヤしているかもしれない。
シコシコされたい目的で画像や動画を投稿している人もいるだろうが、大多数は身内で楽しくSNSを使いたい人たちだろう。

togetter.com


そんなことするなよと思うかもしれないが、そんなやつは言ったってやめないのだ。
芸能人に対する誹謗中傷が問題になっているが、極端な話、SNSをやらないのが一番の自衛なのだ。
個人情報を割り出される危険性も、誹謗中傷される可能性も、それをしてくるやつと関わらなければ被害に遭うことはない。
何も悪いことをしていない方が注意するのはおかしいと思うかもしれないが、前述したように悪意のあるやつは注意したって反省しないのだから、こちらが自衛したほうが建設的だ。
「みんながやってるから」という理由で始めるのは否定しないが、みんながやっているから安心だとは限らない。
赤信号をみんなで渡ったって、車に撥ねられるときは撥ねられるのだ。


デジタルネイティブ】なんて言葉があって、今の若い子は物心ついたときからインターネットやパソコンが身近にあったことから、生活にIT技術を取り入れることに抵抗が低く、習熟までの時間も少ないらしい。
しかし、身近にあることとそれを正しく使いこなせているかはまた別だ。
使い方についてロクにレクチャーも受けず、何やら楽しげなおもちゃを「周りが使っているから」という理由で何の気なしに使ってみるものの、その玩具は自分の生活を脅かすリスクのあるものである。
まあ、これだけ急速に広まった技術だから、保護者や学校などの教える側も体制が整っていないというのもあるだろうけど。


しかし、TikTokで若い子が踊っているダンスを見ると、なんかパラパラが流行った頃を思い出した。
対して激しい動きもなく、ちょっと練習すれば真似できそうなイージーさなんかそっくりだ。
ああいう素人くささが受けているんだろうし、程よい力の抜け具合は自分のかわいさをアピールするのにもピッタリなのだろう。
また、ほとんどの投稿者が自分の顔面を加工していたのにも驚いた。
男女問わずバカみたいにデカい眼球で、鈴木その子の如き肌の白さを有し、昔の少女漫画みたいにシャープな顎をしていた。
あの気味の悪い顔を美しいと思っているのだから、彼らの美的感覚はよく分からん。

ハロウィンと親知らずとキャバクラ

11/3(火)


さぼっていたのでここ数日のできごとをまとめて。
ぼくは特に子供が好きでも嫌いでもないのだが、世間的には子供が大好きじゃないと冷血人間扱いされることが納得いかない。
ただ単に他人の子供に興味がないだけであって、危害を加えるようなことはもちろんしないのだが、独身の僻みだとか子育てをしたことがない人間はこれだからみたいな目で見られるのは意味が分からない。
ダウンタウンの松ちゃんも「一番安全なのは子供を全身に巻き付けて歩くこと」と言うくらい、全てにおいて子供は優先され庇護される。
身体的にも精神的にも未熟な子供を社会で守って育てていこうというのは当然だし、そこに異論はないのだが、積極的に子供と関わる気がない人間がいることも分かってほしい。
ハロウィン近辺やその当日、街を歩いていると鬼滅の刃コスプレをしてドヤ顔をしたきったない子供を何人か見て、更にそう思うのだった。


先日、顔面の半分が有村架純になるという奇病に侵されたぼくであるが、その後無事に完治した。

mezashiquick.hatenablog.jp

しかし今度は、親知らずに仕込まれた爆弾が爆発したのである。


ぼくは親知らずが4本全て残っているという歯の健康が自慢だったのだが、数年前に右の親知らずを抜歯した。
親知らずを抜く際の「メキメキ」という音が非常に生々しく、麻酔が効いてくれていることに感謝したものである。
左の親知らずには少し前から虫歯があったのだが、特に痛みもないので痛くなったら抜きましょうか(抜くというのは歯のことである)という話を歯医者さんとしていた。
歯が痛いと本当に何をするにもやる気が出ず、ブログを更新する気も起きない。
抜歯の日まで痛みに耐えられなかったので薬局で初めて鎮痛剤を購入して使用してみたのだが、恐ろしいくらいの効き目があり、一錠一錠を生命線のように大切に服用していた。
そして昨日、ついに抜歯を敢行した。
ありがたいことに今まで大きな病気をしたこともなく、食物や薬にアレルギーもないため、痛み止めの服用に際しても副作用はなく、抜歯も術後の経過は良好だ。
ちなみに、男性のオナニーのことをどうして「抜く」と呼ぶのかというと、「扱く(こく)」が転じて「抜く」になったかららしい。
「手コキ」の「扱く」ですね。


ハロウィン当日に友人の家にご飯をいただきにお邪魔した。
友人夫妻は来年で結婚10周年であり、子供は既に3人いる。(全員男児
8歳の長男にハロウィンということでお手紙とお菓子と折り紙で作った何やかんやをもらったのだが、何ともマメで非常によくできた素直なお子さんである。
食いしん坊の彼がぼくのためにお菓子を食べずに用意してくれていたという心意気が嬉しい。
お手紙には「これからもながいきしてね」と書いてあったのだが、あいつはぼくが早死にすると思っているのだろうか。
太宰治が「正月に夏ものの着物をもらったから夏まで生きていようと思った」と言っていたように、ぼくも彼にキャバクラを奢ってもらうまでは長生きしようと思う。

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人は思い出がないと生きていけないが、思い出だけでも生きていけない

アニメや漫画など二次元作品の実写化は物議を醸しがちである。
ぶっ飛んだキャラクター・舞台の設定やアニメ的表現を実写でやるとどうにもチープになるし、CGなどの特殊効果に湯水のようにお金を使うこともできないから、コスプレAVのレベルを脱しない。
結局、自分たちでお話を作ることができないから、既に成功したコンテンツに頼るしかないのだろう。
その作品のファンや、怖いもの見たさのお客さんが多少は期待できるので製作費くらいは回収できるのかもしれないが、基本的にはしょんぼりとした出来になる。
ハリウッドではONE PIECEの実写化が進んでいるし、鬼滅の刃も次は実写ではという声もある。
アメコミの実写化くらいお金をかければまた違うのかもしれないが、正直日本では二次元作品の実写化は賛否の否が大きいように思う。


ぼくは子供の頃、堂本剛版・金田一少年の事件簿を見て育ったのだが、あれは当時の原作ファンからどのように受け止められていたのだろう。
他にも実写化で成功した(とぼくが思っている)作品としては、【のだめカンタービレ】【デスノート】などがある。
るろ剣も剣戟アクションとして見れば面白いという話を聞いた。
そして、二次元作品を実写化したドラマで何よりも面白く、ぼくが影響を受けまくった作品と言えば【池袋ウエストゲートパーク】である。


iwgp-anime.com

前にも書いたことがあるが、IWGPは現在アニメ版が放送中だ。
内容は石田衣良さんの原作小説準拠になっている。
そのため、めんどくせえを連呼するマコトも、クレイジーでカリスマなタカシも、息子の息子をインポ呼ばわりするかーちゃんも登場しない。
ぼくは小説も読んでいるので、アニメはアニメで毎週楽しみにしている。

www.j-cast.com

しかし、この記事を見るとどうも不評であるようだ。
「ドラマ版のイメージが強すぎて感情移入できない」「長瀬智也窪塚洋介の印象が鮮烈すぎる」などの声があるらしい。
確かにあのドラマはシナリオ・役者・時代背景どれを取っても完璧である。
キャストも今見ると非常に豪華で、みんな役にバッチリはまっていた。
主演の長瀬智也窪塚洋介のカッコ良さたるや長々と述べるまでもなく、原作のイメージを完全に喰って「ドラマ版の池袋ウエストゲートパーク」をこれでもかというくらいに見せつけていた。


ぼくのように多感な時期にドラマ版IWGPに触れた人間であれば、今でも強烈に印象が残っていることだろう。
だからこそ、下手にドラマ版準拠でアニメ化するとそれはそれで文句が出るのは間違いない。
彼らにとっては原作小説やアニメよりドラマのイメージが強い以上、同じ土俵で戦っても勝負にならない。
「実写と違ってチープ」「ドラマのいいところを活かせていない」などの意見が出るに決まっている。
「子供だったころドラマで見たIWGPとは全然違う」って当たり前だろうが。
原作小説の存在を知らない・見ていないやつが、偉そうに的外れなレビューをしているのは失笑ものだ。
主題歌が【忘却の空】じゃないなんて言っている意見もあるようだが、変にドラマを意識した作りにするのは寒くなるのが目に見えている。
どうやったって文句が出るのなら、原作準拠にしてドラマ版とは全く違ったIWGPを見てほしいという制作側の意図を汲みたい。


ddnavi.com

たまたま見つけたこのインタビュー記事を興味深く読んでいた。
記事内ではキングを演じた窪塚洋介が以下のように語っている。

タカシ(キング)っていう男は寡黙で……何だったら裸に革ジャン、裸に毛皮のコートを着てるみたいなキャラクターなわけですよ。「いやいや、俺にはできないだろ」っていうのがまず正直な感想としてあったんです。これをそのままやってしまうと、実写の場合はあまりにもリアリティがなさすぎて、共演者の人たちにまで迷惑をかけてしまう、僕の芝居のせいでヤケドをさせてしまうんじゃないかって。でも、僕が実際に演じたみたいにブッ飛んだ感じのキャラクターにすれば、成立させることができるだろうという直感があって。

だから観た人に何を言われようとも、今回のアニメ版は正統派の『IWGP』なんだよ、ってことなんじゃないですかね。僕がやったことでパラレル・ワールド版になってしまったドラマとは違うよっていう(笑)。

発言の都合のいいところだけ切り取るのはあまり好きではないが、ドラマ版キングのキャラは窪塚くんの提言によるものだなんて知らなかった。
やはりキングは彼の演技あってこそのものであって、あれをアニメで表現するのは確実に嘘くさくなる。
原作小説を読んだ人間からすれば、なるほど、キングって本来はこんなに冷徹でクレバーなのかと再認識できて面白い。
実際にAmazon Prime Videoのレビューも見に行ってみたが、思い出に囚われたドラマ版原理主義者の頭の固い意見ばかりで嫌になった。
ドラマのイメージが強すぎるというのは仕方のないことだが、それをアニメ版を叩く材料として用いるのは間違っている。なぜなら別物だからだ。
「マコトが好きなのはマヨネーズ」「タカシを銭湯に帰してあげて」って、異なるものだということを理解していない間抜けぶりも甚だしい。
キャラクターやストーリーの全く違うドラマ版とアニメ版を比較することには何の意味もないのに、化石ジジイにはそれが分からないのだ。
加藤あいでオナニーでもしているといい。


ぼくは池袋という土地には行ったことがないが、ドラマが放送されていた時代と今とでは池袋の治安や雰囲気は全然違うのでは。
原作も時間がきちんと流れていて、執筆された当時の社会問題や流行を作品のテーマに盛り込んでいる。
空気がクリーンになった現在の池袋をアニメや今の原作では描いているのに、カラーギャングが跋扈し若者が厚底ブーツを履いてPHSを持っていた時代をいつまで引きずっているのだろう。
ドラマでは池袋をものすごく治安の悪い土地のように扱っていたし、今あの感じをアニメ化したら確実に苦情がくると思う。
逆に、原作とイメージが違い過ぎてドラマを見ていない人だっているし、原作ファンからすればドラマ版だって相当非常識だ。


散々言ってきたが、アニメの出来がどうかと聞かれればまあそこそこだろうか。
お話のテンポや脚本がいまいちだし、作画もあんまりだ。
でも、作品自体は好きなので最後まで見ることにする。
小説でしか描かれていないストーリーがアニメになるとどう映えるのかとても楽しみだ。


良くも悪くも実写化は話題になるけれど、アニメより実写がここまで評価されているのは池袋ウエストゲートパークくらいではないだろうか。
ぼくらが幼い頃見ていたドラマも、何十年後かにリメイクされたりアニメになったりするかもしれない。
タカとユージや古畑任三郎や、青島俊作世にも奇妙な物語タモリさんなんかは遠い将来誰が演じるのだろう。
そのときに「こんなの○○じゃない!」と駄々をこねて暴れない、過去に囚われていないジジイでありたいけど、たぶんそうはならないだろうなと既に諦めている。

都合のいい身体

【四苦八苦】という仏教由来の言葉がある。
この言葉には字面を裏切らない陰鬱な語源があり(仏教では陰鬱だけではない解釈があるかもしれないが)、なかなか興味深い。
根本的な四つの【四苦】にさらに生きる上での【四苦】を足して【四苦八苦】となるのだ。

  • 生苦:生まれることに起因する苦しみ。
  • 老苦:老いていくことに起因する苦しみ。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
  • 病苦:様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる仏教問題。
  • 死苦:死ぬことへの恐怖、その先の不安などの自覚。
  • 愛別離苦(あいべつりく):愛する者と別離すること。
  • 怨憎会苦(おんぞうえく):怨み憎んでいる者に会うこと。
  • 求不得苦(ぐふとくく):求める物が得られないこと。
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく):五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと。


シャワーを浴びていたら、右耳の下あたりがやたらと腫れていることに気が付いた。
鏡で見てみると明らかに顔がアシンメトリーで、右側の輪郭だけ見ると有村架純みたいになっている。
何もしないのは何となく不安なので、プラシーボ効果を期待して葛根湯を飲んで寝てみることにした。
翌朝、正面から見てもハッキリと分かるくらい顔の右側が腫れている。
ますます有村架純に近づいていくことに恐怖したぼくは、病院に行くことを決心したのである。


「顔 片側 腫れる」で検索すると、どうも耳鼻淫行咽喉科系の病院にかかるといいらしい。
一旦出勤し、職場近くの耳鼻科に電話して早速お世話になることになった。
病名は忘れたのだが、「唾液を作る器官にばい菌が侵入して腫れている」という非常に恐ろしい病魔にぼくの身体は蝕まれているらしい。
正直そんなに珍しい症状ではないこと、2~3日で腫れは引くことなどを説明されたが、自分自身も自分の周りでもそんな症状を発症した人を見たことがない。
3日分のお薬を処方してもらい、唯一の注意点である「すっぱいものを食べないように」というほんわかとした対策を教えられてその日は終わった。


放っておいても問題のない症状ではという印象を受けたが、顔面周りが不調になったことはないので(容姿が悪いとかではなく)、完全にビビッてしまって病院に行くことにした。
ぼくの人生はやらねばならないことをギリギリまで先延ばしにして取り返しがつかなくなることの繰り返しなので、せめて自分の身体周りのことは早めに対処しておこうと思ったのだ。


年を取ると、「身体のどこかは必ず不調」という状態が続くらしい。
今日調子のよかった箇所も明日には悪くなったり、ずっと不調だった箇所が急に良くなったりするのだろう。
今まで自由自在に自分の意志で動かせていた身体が思うままにならないことは、非常にもどかしいに違いない。
神様も人間の耐用年数をせいぜい50年と見積もって設計したのだろうが、予想に反してその倍近くも生きようとする人類に必死さを感じているかもしれない。


また、病状に合わせた適切な病院選びって意外と難しいなと思った。
現代はインターネットで何でも調べられるが、もし何も情報を得る手段がなかった場合、顔周りの不調をどこに相談したらいいのか分からない。
今回はたまたま「顔の半分が有村架純になっている」という明確かつ言語化しやすい症状だったけれど、ネットでどう検索したらいいのか要領を得ない体調不良もあるだろう。
学校が社会に出るための教育機関だと言うのなら、病院の選び方とかコピー機の使い方とか収入印紙の買い方とか、もっと実用性のあることを教えてほしいものである。


ちなみに、ぼくは「からだ」という文字をPCで変換するときは「体」ではなく「身体」とするようにしている。
特に明確なこだわりはないけれど、何となく「身体」の方がいやらしい感じがしませんか。

偽りの強さとしょうもない母性

世の中には理解できないことがたくさんある。
ぼくが最近疑問に思っているのは、坂口杏里加藤紗里のSNSにコメントをしている人は何の目的があるのか」である。
彼女たちにファンがいるとは考えにくいけど、万が一ということもある。
怖いもの見たさ・臭いものかぎたさでフォローすることはあるかもしれないが、コメントをするというのはそこからさらに一歩踏み込んだ行為だ。
もしかしたら本人から返信があるかもしれない。
積極的に関わりを持とうと思った時点で、坂口や加藤もこちらを覗いているのだ。


smart-flash.jp

そしてずっと理解できないことが、「なぜ女性はDV男と付き合うのか」だ。
率直に言って頭が悪いと思う。
もちろんDVを肯定するつもりはないし、暴力男を擁護する気もない。
しかし、乱暴な人であることを分かっているのに付き合ったり、暴力を振るわれても別れなかったりする女性は何なのだろう。
上記の記事で紹介した渦中のサッカー選手も、女性への暴力沙汰で以前に所属していたチームを解雇されている。
前科があると分かっていて、なぜその男を選んだのだろう。
なんかこう、浮気男にせよ暴力男にせよ、女性を雑に扱う男の方がモテるんじゃないかと勘違いする人がいてもおかしくない。
女性は本当に男性に優しさを求めているのだろうか。


殴られた時点で「別れりゃいいじゃん」と思うのだが、どうもそう簡単ではないらしい。
暴力を振るう人は、ひとしきり暴れた後にしおらしくなるらしい。
サッカーの彼もその傾向があったようだ。
そういう姿に母性(笑)をくすぐられ、「自分がいないとダメなのでは」という共依存にも近い心理になるのだろう。
恋愛をしていないと、男性という物差しがないと、自分の価値も分からないのだろうか。
自分に自信がなくて好き勝手に生きられないもんだから、「独り身=不幸」という未だに支持されてる価値観を己に適用して自分は間違っていないと思い込み、不必要な縁に固執するのだ。
別れなよと友人たちに強く言われても、「でも優しいところもあるし」と跳ね除けている姿が想像できる。
被害に遭った女性の写真も拝見したが、美人な人であったため正直言ってモテるだろうという印象だった。
暴力男にこだわる理由もないだろうに、不憫な人である。


ぜひリンクを貼った記事に飛んで写真だけでも見てもらいたい。
包丁を持ちながら彼女に向けて暴言を吐いている、ビデオ通話中のサッカーの画像が貼られているのだが、完全に目がイっている。
ここまでする男は確実に異常者だけれど、ここまでされないと異常性に気が付かない女性も頭がおかしいと思う。
サッカー選手という肩書がなくなったとしても、こいつの毒牙に引っかかる女性はこれからも発生するんだろうなあ。


女性は男性に強さや男らしさを本能で求めるのだろうが、「強さ」というのは時代によって変わると思う。
戦国時代のように社会に秩序がなく、混沌としている下克上上等の世界であれば強さがものを言うので、パワフルであることに越したことはない。
力がなければ、強者によって自分や自分の大切なものが脅かされる危険がある。
しかし、この現代社会において、暴力のパラメーターが高いことが何の役に立つのだろうか。
力強さに裏打ちされる自信もあるだろうから、肉体的な頑強さや健康は必要かもしれない。
だが、躊躇なく他人に危害を加えられる粗暴な才能など不要だし、そんな人間は社会から排除されてしかるべきだ。
一家を養えるだけの十分な収入を稼げる能力があり、トラブルにみまわれても家族を守り抜くという気概がみなぎっているのが、現代における「強さ」だと思う。
しかし、悲しいかな堅実に生きている男性に「ドキドキしない」とのたまうのがアホ女なのである。
大体にして、DV男というのは殴っても反抗しそうにない相手を選んでマウントを取っているにすぎない。
北斗の拳のように暴力が支配する世界になったとしても、女性に平気で手を上げるような男が拳王になれるわけがない。


加藤紗里はそんなに好きでないが、ヒールに徹して何が何でも売れてやろうという気概は評価できる。
おそらく裏にブレーン的なものが控えているのだろうが、加藤紗里本人もブレーンも頭が良くないだろうことは想像に難くない。
なので加藤紗里のSNSに出没する人の気持ちは少しは理解できるけど、坂口杏里のファンはどういう心境で彼女をウォッチしているのだろうか。

www.tokyo-sports.co.jp

この記事も「母譲りの美貌で知られる坂口杏里」なんて書かれており、心にもないことを言って面白がっている記者の姿が想像できる。
太宰治の小説のように【滅びの美学】というのはあるけれど、彼女の場合は自分で自分を殴ったり刺したりして勝手に零落しているだけである。